どうもみなさん!こんにちは。カズズです
みなさんスーパーカートリオというのが存在したのをご存知でしょうか?
ぶろ太
それも車の世界でもなく、芸人の世界でもなく、プロ野球の世界にです。
スーパーカーのように足の速い選手によるトリオということですが、個性的な選手の集まりでもありました。
それでは、今回はそんなスーパーカートリオについて紹介していきたいと思います。
目次
スーパーカートリオとは?3人の盗塁数は?
スーパーカートリオとは、横浜大洋ホエールズ(今の横浜DeNAベイスターズ)で活躍した俊足好打の3人の選手のことを指します。
スーパーカートリオが誕生し活躍したのは1985年のシーズンからのことです。
1985年に監督の近藤貞雄さんが、当時としては広かった横浜スタジアムで勝つために、足の速い3人の活躍に期待したことが始まりです。
1番高木、2番加藤、3番屋敷という打順で、ダイヤモンドを駆け巡りました。
ちなみに、近藤監督自身は、「スポーツカートリオ」と呼んでいたそうですが、それが所説あるのですが、いつのまにか「スーパーカートリオ」となったようです。
まあ、スーパーカートリオの方が、速そうで、かっこいいですよね。
そして、この1985年、スーパーカートリオは華々しい活躍を見せました。
高木選手が42、加藤選手が48、そして屋鋪選手が58個の盗塁を記録し、合計で148個の盗塁に成功しています。
ちなみに40盗塁以上を記録した選手が同一チームで3人同時に誕生したのは、NPB史上でもこの一度だけのようです。
翌1986年は、高木選手が24、加藤選手が22、屋敷選手が48個で合計94個の盗塁ということになりました。
加藤選手が規定打席に達したのは1985年だけということもあり、このスーパーカートリオが実質的に活躍したのは、この2年、それもメインは1985年ということになりました。
スーパーカートリオというと、なんだかゲームにも登場しそうな名前ですが、1986年にスーパーカー達をホームに迎え入れる役目を果たしたのが、1986年から1990年まで在籍したカルロス・ポンセ選手です。
このポンセ選手、長期間に渡って在籍していたことからも分かる通り実績は十分なのですが、それ以外に、マリオブラザースのマリオに似ているということでも評判を呼びました。
スーパーカートリオの3人はどんな人物でどんな成績だった?
スーパーカートリオ#これを見た人は3人組の画像を貼れ #屋敷要#加藤博一#高木豊#大洋ホエールズ https://t.co/A6ghzr21uW pic.twitter.com/PdWXwX1UYE
— Zenten (@neilandandy) June 7, 2019
では、そんなスーパーカートリオの3人はどんな感じの選手だったのか紹介したいと思います。
スーパーカートリオの一人高木豊はどんな感じの選手だった?
「私とベイスターズ」No.23-24は“スーパーカートリオ”の1号車、高木豊さん!https://t.co/WpnTWIWLUz#baystars #高木豊 pic.twitter.com/GlqToDpM4F
— 横浜DeNAベイスターズ (@ydb_yokohama) August 26, 2019
高木豊選手は1981年から1994年までNPBに在籍した選手です。
このうち、最後の1年は日本ハムファイターズで過ごすことになりましたが、それまでは横浜一筋でした。
ショートやセカンドの内野手として活躍し、1716本のヒットと88本のホームラン、321個の盗塁を記録しています。
1984年には盗塁王と獲得し、ベストナインに3度、ダイヤモンドグラブ賞に1度輝いています。
スーパーカートリオの一人加藤博一はどんな選手だった?
そうだね。
加藤博一だね。
スーパーカートリオ、コンプリートだね😭 pic.twitter.com/MdCb8X7pQp— 伝説のTaiyo Whales (@unchained_1981) September 12, 2018
加藤博一選手は、1972年に当時の西鉄ライオンズ(今の埼玉西武ライオンズ)でプロ野球選手としてのスタートを切り、1972年から1982年までを阪神タイガースで、1983年から1990年までを横浜大洋ホエールズで過ごしました。
タイトルは獲得してないのですが、しぶといバッティングと俊足、そしてそのひょうきんなキャラクターでファンからは愛された選手でした。
加藤選手が選手として最も輝いたのは、タイガース時代の1980年の打率3割1分4厘で34盗塁、そして横浜でスーパーカートリオの1人として活躍した1985年の打率2割8分、48盗塁でした。
引退後は、解説者などで活躍されていましたが、2008年に肺ガンのため56歳で亡くなられています。
スーパーカートリオの一人屋敷要はどんな感じの選手だった?
屋鋪要
70年代後半から80年代にかけて大洋
の外野を支え、加藤博一、高木豊と
「スーパーカートリオ」として活躍。
84年から2年連続3割、85年にタイト
ル獲得こそ逃したが58盗塁をマーク。
86年から3年連続盗塁王を獲得した。 pic.twitter.com/zWCYU2IRMj— プロ野球歴代選手bot (@yakyuzin_bot) December 22, 2018
屋敷要選手がNPBに在籍したのは1978年から1995年まででした。
このうち、1993年までを横浜で、1994年と1995年を読売ジャイアンツで過ごしました。
俊足をウリモノにした外野手でそのプレースタイルから「忍者屋敷」とも呼ばれていました。
また、当時からヒゲをトレードマークにする選手でもありました。
1986年から1988年まで通算3度の盗塁王に輝くとともに、その守備範囲の広さから1984年から1988年まで5年連続でゴールデングラブ賞を獲得しています。
スーパーカートリオでは3番を打ちましたが、後に1番バッターに定着しました。
まとめ
みなさんいかがだったでしょうか?
今回アhスーパーカートリオについて見てきました。
ネーミングもそうですが、個性豊かな選手が活躍する姿はやっぱり楽しいですね。
そして、このスーパーカートリオについては、選手としてのパフォーマンスもそうですが、それぞれが独自のキャラクターを持たれているというのが素晴らしいような気もします。
当時を知るファンとしては、いつまでも記憶に残る選手達なんでしょうね。
今回は記事を読んでくれてありがとうございました。
ではまた~!
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