柿沼友哉とは?彼女や結婚や子供は?守備の評価は?育成から支配下へ!


どうもみなさん!こんにちは。カズズです。

 

プロ野球への入団するステップと言えば、やはりドラフト会議ですよね。

 

しかし、各球団がいくらでも選手を指名して入団させることができるかと言えば、そうではないです。

 

1球団で登録できる選手の数というのは決まっています。

 

そこで、育成枠というのがあって、言わば予備軍みないなのものですが、そのための育成ドラフトというのがあります。

 

支配下登録を前提としたドラフト会議で指名されなかった選手が、そこで指名されプロとしての道を歩み始めるわけですが、そんな育成枠からも活躍する選手が出てきています。

 

福岡ソフトバンクホークスを支える、日本を代表する千賀投手と甲斐捕手のバッテリーはどちらも育成枠出身です。

 

それに続こうとする選手が沢山出てきているのですが、千葉ロッテマリーンズの柿沼友哉選手もそんな1人です。

 

今回はそんな柿沼友哉選手について見ていきましょう。

柿沼友哉選手のプロフィールを紹介!

氏名   柿沼 友哉(かきぬま ともや)

生年月日 1993年5月12日 (26歳)

出身地  茨城県つくば市

出身校  誠恵高等学校

身長   180センチ

体重   82キロ

血液型  A型

入団   2015年育成選手ドラフト2位

背番号    99

あだ名

経歴

誠恵高等学校

日本大学国際関係学部

千葉ロッテマリーンズ(2016~)

応援歌

 

柿沼友哉とは?プロ入り前の活躍とプロ入り後の活躍を紹介!

柿沼友哉選手のプロ入り前とプロ入り後の活躍を紹介していきたいと思います。

プロ入り前の柿沼友哉選手の活躍は?

柿沼選手は1993年5月12日生まれで、出身は茨木県つくば市となっています。

 

小学校時代は松代ブルーサンダースというチームでプレーをし、中学に入ってからはつくばリトルシニアに進みました。

 

そして、高校は静岡県沼津市の誠恵高校へ進学しています。

 

高校時代は、やはり1年生の夏からレギュラーポジションを掴んだようですが、チームとしての最高成績は3年生の時の夏、つまり最後の大会の静岡予選3回戦進出となりました。

 

つまり、甲子園出場は叶わなかったのですね。

 

大学では、日本大学国際関係学部に入学した柿沼選手ですが、野球部では2年生の春に右肘を痛めるなどの故障もあり、なかなか実力を発揮することができませんでした。

 

当初、キャッチャーとして期待された柿沼選手ですが、その間、外野に挑戦したりもしました。

 

しかし、4年生になるとキャッチャーに復帰し、バッティングでも実力を発揮できるようになり4番を任されるまでになりました。

 

そして、当時、マリーンズの静岡担当だった小野晋吾スカウトの目にとまり、2015年の育成ドラフトで2位指名を受けてマリーンズに入団しています。

 

ちなみに指名の情報は遠征から戻るバスの中で入ってきたようです。

プロ入り後の柿沼友哉選手の活躍

育成枠の選手として入団した柿沼選手ですが、入団1年目から2軍では、レギュラーとして出場を重ね、ルーキーイヤーに支配下契約にこぎつけることができました。

 

結局、2016年ルーキーイヤーは1軍での出場こそありませんでしたが、2軍ではキャッチャーとしてはチーム最多となる55試合に出場しました。

 

そして、オフには、U-23の日本代表チームに選出され、レギュラーとして全9試合に出場する活躍を見せ、世界一に貢献しています。

 

そんな柿沼選手の1軍デビューは、2年目の2017年6月17日のことでした。

 

2017年は8試合に、そして2018年は2試合の出場となっています。

 

迎えた2019年シーズンはレギュラーだった田村龍弘選手の故障もあり、出場機会にも恵まれ、6月8日の東京ドームでの読売ジャイアンツ戦で山口俊投手から初安打、6月22日の神宮球場での東京ヤクルトスワローズ戦で風張蓮投手から初ホームランを記録しています。

柿沼友哉選手の特徴やプレースタイルは?守備や打撃、走塁の評価は?

柿沼選手を語る上で欠かすことのできないのは、遠投115メートルの強肩をいかした、2塁への送球タイム1秒78というタイムのスローイングでしょう。

 

プロ入りのきっかけも対戦校の選手を見に来ていた小野スカウトの目の前で、盗塁を3つ連続で阻止したことだと言われていますから、1番の武器であるのは間違いないでしょうね。

 

走塁の方は、あまり得意ではない感じですね。

 

キャッチャーって足が遅いイメージがありますが、最近の選手は速い選手が多いですから、足が遅いなりにも走塁技術を向上させてほしいですね。

 

また、バッティングでも、2軍では率もそこそこ残していますから、1軍の環境に慣れれば、実力が発揮できるかもしれませんね。

 

2019年7月7日現在、プロ入り3年間で盗塁はまだ記録していませんから足の方はさほど自信がないのかもしれませんね。

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彼女や結婚や子供は?

そんな柿沼友哉選手ですが、結婚しているのでしょうか?

 

まだ若い選手だけに、結婚はまだにしても、彼女と言った情報の情報は出ているのでしょうか。

 

笑顔が好印象な選手で2019年7月8日現在で26歳ですから、結婚もしていてもおかしくはない年齢ですが、柿沼友哉選手はどうなんでしょう。

 

2019年7月8日現在、柿沼友哉選手は結婚はまだしていませんし、彼女といった女性の情報もありませんでした。

 

やはり、まだ若いですし、今は野球に専念したいのがホンネでしょうね。

 

まわりのライバル達も日々練習に励んでいるときに遊んでいる場合ではないと本人もわかっているのでしょう。

 

とにかく今は一軍に定着できるように、日々練習に励んでほしいですね。

 

期待しましょう。

柿沼友哉選手って、誠恵高校時代はどんな選手だったの?

高校時代には甲子園へ出場することはなかった柿沼選手ですが、1年夏からレギュラーのキャッチャーとして活躍しています。

 

中学時代から有名だった柿沼選手ですから、驚くほどではないかもしれませんね。高校では、強肩強打の捕手として活躍していました。

 

甲子園出場がなかったのは柿沼選手が自分の進路を決定する時に有名校ではなく、野球では無名に近い誠恵高校を選んだ部分が大きいと言えるでしょう。

育成から支配下へ!

ルーキーイヤーにいきなり育成から支配下登録された柿沼選手ですが、育成の時の背番号は122番でした。

 

22番はマリーンズでは里崎選手がつけていた背番号で、それに1を加えたものとなっています。

 

つまり、育成枠ながら非常に期待の大きかった選手と言えるでしょう。

 

支配下登録されてからは99番をつけるようになっています。

まとめ

みなさんいかがだったでしょうか?

 

今回は柿沼友哉選手について見てきました。

 

育成から支配下登録された選手を見ていると、やはり「這い上がってきた」という感じがして、ガッツがある選手が多いような気がしますよね。

 

この柿沼選手も育成枠とは言え、期待の大きかった選手と言えるでしょうから、レギュラー争いに加わっていって欲しいですね。

 

今回は記事を読んでくれてありがとうございました。

 

ではまた~!


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