どうもみなさん!こんにちは。カズズです。
千葉ロッテマリーンズには、2019年シーズンに向けて大阪桐蔭から藤原恭太選手が入団し、何かと話題を呼んでいます。
マリーンズといえば、かって「史上最大の下克上」を達成したチームでもあります。
2010年のシーズン、マリーンズはシーズン3位の成績ながら、西武ライオンズを下し、そしてペナントを制した福岡ソフトバンクホークスをも破って
パリーグの覇者として日本シリーズに臨みました。
そして、日本シリーズでもセリーグの覇者中日ドラゴンズを破って日本一となりました。
そんなマリーンズの下刻上のチームカラーが1番似合うのが、この角中勝也選手ではないでしょうか。
今回はそんな角中勝也選手について見ていきましょう。
目次
角中勝也選手のプロフィールを紹介!
【イベント告知】
2019年1月19日(土)に『ファイテンショップ ららぽーと柏の葉店』と『ファイテンショップ ららぽーとTOKYO-BAY店』に於いて、千葉ロッテマリーンズ「角中 勝也選手」の来店イベントを開催します。
詳細は▼https://t.co/tKg3tWOmg4#千葉ロッテマリーンズ #角中勝也 選手 pic.twitter.com/es8wrS6SNi
— ファイテン (@phiten_official) 2019年1月9日
氏名 角中 勝也(かくなか かつや)
生年月日 1987年5月25日 (31歳)
出身地 石川県七尾市
出身校 日本航空第二高等学校
身長 180センチ
体重 85キロ
血液型 A型
入団 NPB2006年大学生・社会人ドラフト7巡目
背番号 3
あだ名
経歴
日本航空第二高等学校
高知ファイティングドッグス(2006)
千葉ロッテマリーンズ(2007~)
応援歌
ララララ角中 ララララ角中 さあ戦え 角中 勝利へ導け 栄光の時を目指して
角中勝也とは?プロ入り前の活躍とプロ入り後の活躍を紹介!
角中勝也選手のプロ入り前とプロ入り後の活躍を紹介して行きたいと思います。
角中勝也選手のプロ入りまでの活躍
角中勝也選手は、1987年5月25日の生まれで、石川県七尾市の出身です。
お父さんの子供をプロ野球選手にするんだ!という信念のもと、小さい頃から野球の英才教育を受けて育ったようです。
そして、高校は現在の日本航空高校石川に進んでいますが、甲子園出場等の目立った成績は残していません。
高校卒業後は、2006年に四国アイランドリーグの高地ファイティングドッグスへ入団し、高卒1年目から開幕で1番を任されるなど高い評価を受けていました。
そして、1年面のシーズンを主にクリーンアップとして終え、打率2割5分3厘、4ホームラン、28打点という記録を残しています。
また、ウエスタンリーグのチームとの交流戦でも、NPBのスカウトからその俊足とミートのうまさを評価されていました。
その活躍があって、2006年のドラフト会議で、千葉ロッテマリーンズから大学社会人ドラフト7巡目指名を受けて入団しています。
角中勝也選手のプロ入り後の活躍
独立リーグからドラフト下位で入団した角中選手ですが
ルーキーイヤーの2007年、7月24日に初の1軍登録されると、その日の福岡ソフトバンクホークス戦で2番センターで初出場を果たしました。
結局、このシーズンは1軍での成績は2割3分5厘に終わりましたが、イースタンリーグでは2位の打率を残しています。
2008年にはプロ初ホームランを記録するも、10試合の出場に終わり、2009年も10試合の出場にとどまりました。
そして、2010年は13試合の出場に終わり1本のヒットも打てずにシーズンを終えました。
そんな角中選手ですが、2011年シーズン終盤の8月に1軍に再昇格すると、それ以降、外野の一角に定着し、3番や5番なども任され、打率2割6分6厘という数字を残しました。
完全にマリーンズの中心選手に成長した角中選手は2012年には独立リーグ出身の選手としては初となるオールスターゲームにも選出されるなどの活躍を見せ
当時ライオンズにいた中島裕之選手との首位打者争いを制して、独立リーグ出身選手として初の規定打席到達を果たし、3割1分2厘で首位打者を獲得しました。
シーズン終了後には、これも独立リーグ出身としては、初となるベストナインにも選ばれています。
その後も、角中選手は活躍を続け、2014年には自己最多の8本のホームランも記録しています。
2016年にはデスパイネ選手の怪我などもあり4番を任されたりもしながら、3割3分9厘の好打率を残し、2度目の首位打者となっています。
そして、このシーズンオフには1億4100万円で契約更改を行い、1億円プレーヤーとなっています。
2017年は110試合の出場で、2割6分9厘、2018年は112試合の出場で2割6分5厘という成績を残しています。
角中勝也選手の特徴はプレースタイルは?
2016パ・リーグタイトルホルダー
最多安打178本
千葉ロッテ(@Chiba_Lotte)・角中勝也選手#chibalotte #千葉ロッテ #タイトルホルダー #最多安打 #角中勝也 #角中選手 #変態打撃 #打撃二冠 pic.twitter.com/3mFbfVHDvg— パ・リーグ.com / パーソル パ・リーグTV公式 (@PacificleagueTV) 2016年10月5日
角中選手は右投げ左打ちの外野手で、ミート力と俊足が持ち味の選手です。
ホームベースにかなり近く立ち、重心を落として構える独特のフォームなんですが
2ストライクと追い込まれるとさらにノーステップに切り替えるという風にミートに徹していて、相手投手が嫌がるタイプのバッターです。
また、判断力のよさも角中選手を支える大事な要素で、2013年にはセンターフライで2塁からタッチアップでホームインしています。
外野守備では、遠投110メートルの強肩を活かして、2013年にはリーグ最多の捕殺数をマークしました。
角中勝也選手は結婚しているの?嫁や子供は?
2013年1月27日、4歳年上の一般女性との結婚を発表。
馴れ初めは知人の紹介ということですが、野球選手には多い年上の奥さんですよね。
やはり、野球選手にとって年上の頼りがいがある人に惹かれるんですかね。笑
そして、すでに男の子のお子さんが一人いらっしゃるようで、野球をされているそうですから、将来が楽しみですね。
ちなみに角中選手は女の子も欲しいと、言っていたのでそろそろおめでたい話があるかもしれないですね。
角中勝也選手がFA権を行使せずに、残留した決め手は?3度目の首位打者になるには?
FA権を取得した角中勝也選手が権利を行使せず残留へ!
角中選手は現在も来季契約のための交渉が行われていますが、残留の意向がある事が判明。
来季もチームの中心選手としての活躍に期待がかかります!! pic.twitter.com/YHjWCjcTyt— TEAM26 〜2019〜 (@pride_of_lotte) 2018年11月10日
角中選手は国内フリーエージェントの権利をすでに持っていますが、2018年オフに権利を行使せずに残留するという決断を行いました。
以前から独立リーグ時代の苦しい生活から救ってくれて芽が出ない時もチームの残してくれたマリーンズへの恩義のようなことも口にしていた角中選手ですから、そのあたりが決定を後押ししたのかもしれませんね。
2016年に2度目の首位打者と獲得した角中選手ですが、2017年、2018年と続けて、怪我や故障でフルシーズン万全の状態で働くことができませんでした。
角中選手が、3度目の首位打者を獲得するのは、自身のコンディションが最大のポイントかもしれません。
角中勝也選手って育成枠出身なの?終身名誉育成枠出身って?
まとめロッテ! : ロッテ角中勝也が独立リーグ出身ってマジ? https://t.co/gr2EAXbdjN pic.twitter.com/NJA0a50sYF
— まとめロッテ! (@matomelotte) 2016年6月19日
角中勝也選手は、独立リーグを経験し月収13万円という給料からはい上がった選手ですが、上記のプロフィールから見てもわかるように
NPB2006年大学生・社会人ドラフト7巡目で指名され入団から支配下の選手でした。
にもかかわらず、「育成枠出身で活躍を見せた選手」の例として、巨人の山口鉄也などと共に挙げられることが多い選手である。
首位打者を2度獲得し、有名になった今でも間違えられることがチラホラある選手です。
ファンやテレビの実況やネットの世界でも誤解されることが多い角中選手。
「終身名誉育成枠出身選手」とまで言われるほど勘違いされっぷり。
なぜこのような誤解が生まれたのでしょうか?自分なりに少し細かく分析して行きたいと思います。
似たような境遇の選手が育成選手だったので勘違いされた!
角中選手は、独立出身選手です。
独立リーグの四国アイランドリーグ・高知ファイティングドッグス出身で少ない月給で将来NPBを夢見てがんばっていました。
そんな独立リーグには角中選手と同じような境遇の選手がたくさんいるのですが、その大半は育成上がりの選手が多かった。
そればかりではなく似たような苗字の角晃多(すみこうた)という選手がいました。
角晃多選手は正真正銘の育成選手であったため間違われたのではないかということ。
また育成枠から支配下登録し同じロッテで活躍した岡田幸文とも間違われていたのではないか?ということ。
ネタにされている!
野球に詳しくて、すでに角中選手が育成選手ではないと知っている人が育成出身選手とネタにしていることも考えられます。
ただでさえこんなありえない間違えられ方をされる角中選手を、ネットの住人たちは放っておくはずがないと考えられます。
おまけに「終身名誉育成枠出身選手」
とまで言い広めていった可能性すらあります。
何も知らない人はそれらを見て
と勘違いされ、世間に広まって行ったのではないかということが考えられます。
まとめ
みなさんいかがだったでしょうか?
今回は角中勝也選手について見てきましたが、高校時代も無名で、そして独立リーグからも下位指名での入団ながら、独立リーグ出身者としては初となる栄冠といくつも獲得してきました。
独立リーグの選手に希望を与えた存在と言っていいと思います。
ゴールデンルーキー藤原選手とは真逆の存在かもしれませんが、そんな角中選手のハングリー精神がチームを救うのかもしれませんね。
今回は記事を読んでくれてありがとうございました。
ではまた~!
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