どうもみなさん!こんにちは。カズズです。
今回は「安打製造機」についての話です。
みなさんは「安打製造機」って言葉を耳にされたことはあると思います。
もちろん野球の中で出てくる言葉で、野球ゲームのパワプロでは特殊能力として位置づけられています。
では「安打製造機」について見ていきたいと思います。
目次
安打製造機とは?
安打製造機とは文字通り安打(ヒット)を沢山打つ選手、それも並外れて沢山打つ選手のことです。
そして、どちらかと言えばホームランよりもヒットの印象の強い選手といっていいでしょうか。
プロ野球の歴代安打数でも上位にくる古くは王貞治さんや長嶋茂雄さん、野村克也さん、最近ですと金本知憲さん、現役ですと新井貴浩選手、阿部慎之助選手などは沢山ヒットは打っていても安打製造機というイメージではありません。
「強打者」とかいう言葉がピッタリな気がします。
安打製造機に共通して見られる特徴
安打製造機と呼ばれる選手に共通するのは、バットコントロールのうまさです。
よく言われるボールに逆らわないバッティングです。
外角の球はバットのヘッドを遅らせ気味に出して右バッターならばライトへ左バッターならばレフトへいわゆる「流し打ち」ができ、そして内角の球は身体の近くでバットをコントロールして右バッターならばレフトへ左バッターならばライトへと打つ、いわゆる「引っ張る」ことができます。
真ん中近辺の球は、右中間から左中間へセンター中心のバッティングができます。
また、タイミングが合わなかった時でも、体勢を崩されながらもうまくバットの芯でミートし、ヒットゾーンへボールを「運ぶ」ことができます。
また、芯でボールをミートして安打にできなくても、わざとファールを打って粘って、相手投手の失投を待つことができるというのも安打製造機に必要な条件かもしれません。
これに反して、先ほど述べた「強打者」と呼ばれるバッターは、外角寄りのボールでも、無理やりでも引っ張ることができるような感じです。
歴代の安打製造機と呼ばれたプレーヤー
もちろん、身近で一番安打製造機と呼ぶのにぴったりなのはイチロー選手です。
日本では高校卒業後9シーズン、1軍では実質7シーズンで1278本のヒットを放ち、メジャーリーグでも3000本以上のヒットを放っています。
2004年には262本というメジャーでのシーズン最多安打の記録もつくっています。
まさしく、これぞ、安打製造機と言いと思います。
では、日本球界だけを見てみるとどうでしょうか。やはり筆頭は「喝!」でおなじみの
張本勲さんではないでしょうか。
通算安打記録は日本球界でただ1人3000本以上のヒットを放っていますから、この方をおいてはないように思えます。
特定のシーズンだけたくさんのヒットを放った選手はいるかもしれませんが、この2選手のように長い年月にわたってヒットを放ち続けた選手こそ安打製造機と呼んでいいような気がします。
古くは1955年から1972年に活躍された榎本喜八さんが最初に安打製造機と呼ばれたプレーヤーと言えますし、最近ですとヒット数上位にランクされる福本豊さんや立浪和義さんなんかも安打製造機に該当すると言えるでしょう。
現在のプロ野球での安打製造機と呼ばれる野球選手は?
現在の安打製造機と言うとどんな選手になるのでしょうか。
先ほども安打製造機のイメージについては述べましたが、トリプルスリーを達成したソフトバンクの柳田選手や東京ヤクルトスワローズの山田選手などは、もちろん、沢山安打を放つのですが、ちょっとイメージから外れます。
どちらかと言うと「強打者」とか言った方がいいのかもしれません。
それではどんな選手が候補として上がるかというと、ソフトバンクの内川選手、西武ライオンズの秋山選手、日本ハムファイターズの近藤選手、東京ヤクルトスワローズの青木宣親選手なんかが該当すると言えます。
内川聖一選手
内川選手についてはすでに2000本安打も達成していますし、最大でシーズンで189本のヒットは放ち、150本以上のヒットを放ったシーズンが8シーズンあります。
右バッターでこれだけのヒットを量産する選手は稀です。
秋山翔吾選手
秋山選手は2010年のドラフトで指名されたまだ若手~中堅といっていい選手だと思いますが、2011年から2017年の7シーズン中4シーズンで150本以上のヒットを放ち、2015年シーズンでは216本のヒットを放っています。
今の日本のプロ野球選手で一番「安打製造機」と呼ばれるにふさわしい選手が、この秋山翔吾選手と言えるでしょう。
近藤健介選手
近藤選手は、なんといっても「4割バッターの誕生」という夢を見させてくれています。
故障等でフルシーズン満足な状態で働けないことが多かったですが、2011年ドラフトで横浜高校から入団後4年目には早くも142本のヒットを放っています。
そして記憶に新しい2017年には故障でシーズン途中で出場機会がなくなりましたが4割を超える打率を残していました。
青木宣親選手
そして、すでにレジェンドに近い存在化もしれませんが
東京ヤクルトスワローズの青木選手、早稲田大学から入団2年後の2005年から、メジャーへ挑戦する2011年までの7年間で、202本、192本、193本、154本、161本、209本、170本と驚異的なヒット数を記録しています。
まとめ
みなさんいかがだったでしょうか?
今回は安打製造機について見てきましたが、ホームランについては「野球の華」といった表現もされますが、ヒットは「野球という世界で夜空に輝く星達」みたいな感じかもしれません。
多くの星を放った選手がやはり「スター」なのでしょう。
今後も「スター」が数多く誕生してほしいですね。
今回は記事を読んでくれてありがとうございました。
ではまた~!
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