どうもみなさん!こんにちは。カズズです。
読売ジャイアンツの2019年シーズンにかける意気込みは凄いものがありますね。
原監督が復帰して、FAや外国人補強、そして日本でも大物選手を迎え入れるなど、巨額の資金を使っての補強が行われました。
特に野手は、FAで広島東洋カープの2年連続MVP男の丸佳浩選手や元メジャーリーガーでオリックスバファローズから来た中島宏之選手
バリバリのメジャーリーガーのビヤヌエバ選手など大物揃いです。
元々、坂本選手や岡本選手、陽選手、ゲレーロ選手、亀井選手といった実力のある選手が揃っているジャイアンツの野手陣ですが
案外2019年のジャイアンツの優勝へのキーマンになるかもしれないのがこの立岡宗一郎選手かもしれません。
「たちおか」ではなくて「たておか」と読みます。
今回はそんな立宗一郎岡選手について見ていきましょう。
目次
立岡宗一郎選手のプロフィールを紹介!
そう言えば!!!
この前の甲子園での試合の時来てくれましたよ〜〜✨✨
大出世の立岡宗一郎(^-^)#読売巨人軍#立岡宗一郎#ホークスで一緒#しかも3軍で#大出世#しかし彼はこの日#日付け変わって僕が誕生日だった事は知らず(笑) pic.twitter.com/0IEQ1XY6Ga
— 大西宏明 (@hiroaki_ohnishi) 2016年5月2日
氏名 立岡 宗一郎(たておか そういちろう)
生年月日 1990年5月18日 (28歳)
出身地 熊本県葦北郡田浦町(現:芦北町)
出身校 鎮西高等学校
身長 181センチ
体重 82キロ
血液型 A型
入団 2008年ドラフト2位
背番号 39
あだ名
経歴
鎮西高等学校
福岡ソフトバンクホークス(2009~2012)
読売ジャイアンツ(2012~)
応援歌
立ち向かえ 羽ばたけ 夢と希望握りしめ バットで脚でGO! GO! GO! かき回せ
かっとばせ~ た~ておか~
立岡宗一郎とは?プロ入り前の活躍とプロ入り後の活躍を紹介!
立岡宗一郎のプロ入りまでの活躍とプロ入り後の活躍紹介して行きたいと思います。
プロ入り前の立岡宗一郎選手活躍!
立岡選手は、1990年の5月18日生れで、出身は熊本県です。
中学時代は芦北町立田浦中学の軟式野球部に所属していましたが、この頃は投手として130キロ台中盤のボールを投げていて
熊本大会優勝、九州大会準優勝といった経歴を残しています。
また、野球以外にもマルチな才能を発揮していて陸上の短距離の選手として大会で入賞したりもしているようです。
高校は鎮西高校へ入学しましたが、松井稼頭央選手への憧れから、野手に転向しました。
そして、1年春からベンチ入りを果たし、3年生の時には主将も努めています。
高校時代は甲子園などの全国大会への出場はありませんでしたが、全国区的な注目を浴びていました。
走・攻・守三拍子そろった逸材として、「秋山幸二2世」とか「新庄剛志2世」と呼ばれていたそうですから、相当なポテンシャルの高さをうかがわせますね。
そして、2008年のドラフト会議で地元九州の福岡ソフトバンクホークスから2位指名という高い評価を受けて入団しています。
プロ入り後の立岡宗一郎選手の活躍!
高卒1年目の2009年は1軍出場のなかった立岡選手ですが
ウエスタンリーグでは61試合に出場していますから期待度とポテンシャルの高さがうかがわれますね。
そんな立岡選手の1軍デビューは翌2010年の8月14日の北海道日本ハムファイターズ戦での代走としての出場でした。
結果、この1試合が、ホークス時代の唯一の1軍経験となります。
2011年、2012年と1軍での出場機会のなかった立岡選手に転機が訪れたのは2012年のシーズンが始まって間もない頃でした。
2012年6月13日に交換トレードでジャイアンツへの移籍が決まったのでした。
ホークスからは立岡選手と久米勇紀選手、ジャイアンツからはレビ・ロメロ選手と福元淳史選手という2対2のトレードでした。
新天地での活躍に期するものがあった立岡選手ですが、今度はアクシデントが立岡選手を襲います。
移籍直後のイースタン・リーグでの楽天戦で守備の際に見方選手と交錯し、左肘靭帯断裂という大怪我をしてしまうのです。
肘の傷みからバットが振れなくなった立岡選手は、9月に左打ちに転向したのでした。
左打ちは、中学時代に少しだけ経験がある程度だったそうですが、元々のセンスなんでしょうね。
秋のフェニックッスリーグでは打率3割をマークしています。
2013年5月には移籍後初の1軍に昇格し、5月15日の千葉ロッテマリーンズ戦でプロ初安打を記録しています。
2014年は出場機会に恵まれなかった立岡選手ですが、2015年にブレイクします。
5月下旬に1軍に昇格すると、後半戦はセンターのレギュラーのポジションを掴み、規定打席には到達しなかったものの3割4厘の打率を残しています。
2016年から2018年は故障やFAで加入した陽選手などとの兼ね合いもあり出場機会に、恵まれず打率も2割台の前半にとどまっています。
立岡宗一郎選手の特徴やプレースタイルを紹介!
センスの塊のような立岡選手ですが、181センチ82キロと均整のとれた体格の右投げ左打ちの外野手です。
50メートル5秒9の俊足、高校通算28本塁打のバッティングセンス、遠投110メートルの強肩を活かしたプレーが持ち味です。
外野守備では俊足と強肩でチームのピンチも救ってきましたし、セカンドでの起用もあり、チームにとっては貴重な戦力とも言えます。
守備については反応や守備範囲等が課題だと言われることがありますが
バッティングの方は、左打者へ転向したこともあり、ホームランこそ通算2本と少ないですが
シュアなバッティングと俊足を生かした2塁打、3塁打が期待できます。
ソフトバンクからどうしてトレードされたの?
【BBM選手名鑑2009】
立岡宗一郎(ソフトバンク) pic.twitter.com/wzRd16AJEb— プロ野球選手名鑑BOT (@BBMeikanbot) 2018年10月3日
先ほども少し説明させていただきましたが、2012年6月13日に交換トレードでジャイアンツへの移籍が決まりました。
ホークスからは立岡選手と久米勇紀選手、ジャイアンツからはレビ・ロメロ選手と福元淳史選手という2対2のトレード。
では、そんな立岡選手がホークス入団後、まだ4年目なのにトレードされたのは何故だったんでしょう。
当時はホークスファンからも疑問の声が上がったようですが
巨大な戦力を誇るホークスではなかなか出場の機会が少ないからという面もあったようです。
この時のトレードに関わった4選手のうち、今もNPBでプレーしているのは、立岡選手だけですから
立岡選手を活かすためのトレードだったと言ってもいいかもしれませんね。
立岡宗一郎選手は結婚してるの?彼女は?
そんな苦労人の一面も持つ立岡選手ですが、今のところは結婚や彼女についての話は聞こえてきません。
釣りが趣味のようですから、釣りガールの彼女なんかがいるのかもしれませんが、今のところはそういった情報は聞かれないですね。
年ごろの選手なので彼女くらいいてもいいような気がしますが今は野球に専念といったところでしょうか。
これから野球でもっとレギュラー級の成績を残せるようになれば、ゆとりができ女性の話があがるかもしれませんね。
少年時代は柔道家だった?
立岡宗一郎も元柔道少年で小学1年から3年連続で県大会優勝。「得意技は井上康生さんに教わった内股です」(ニッカンより)
— プロ野球死亡遊戯 (@shibouyuugi) 2015年2月18日
そして、この立岡選手、野球や陸上以外のスポーツでも才能を発揮していたのです。
それはなんと柔道なんです。小学校1年から3年連続で県大会優勝を果たしています。
子供の頃から野球とはまたちがったスポーツで、精神的にも鍛えられたんですかね。
立岡選手の俊足ぶりは、柔道をすることによって足腰が鍛えられてきたからなんでしょうかね。
幼いころからフィジカルモンスターという異名もあった、立岡少年。
野球と柔道を両立させていたくらいですから、小学生時代から心も体も頑丈だったんですね。
まとめ
みなさんいかがだったでしょうか?
今回は読売ジャイアンツの立岡宗一郎選手について記事を書かしていただきました。
ジャイアンツの2019年を考えると、強打の選手は揃っていますから、機動力のようなものが鍵になるのかもしれません。
そう考えると案外、この立岡選手のようなプレーヤーが活躍の機会を得るかもしれませんね。
ではまた~!
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