福留孝介がメジャーで成功できなかった4つの理由と阪神の役割とは?

どうもみなさん!こんにちは。カズズです。

 

プロ野球チームというのは

 

ベテラン、中堅、若手の選手がうまくかみあって出来たチームが

 

とても理想的で強いチームと言われます。

 

今回はそんなベテラン選手のひとりでメジャーも経験した

 

福留孝介選手

 

にスポットライトを当てて紹介していきたいと思います。

福留孝介選手のプロフィール

氏名   福留孝介(ふくどめこうすけ)

生年月日 1977年4月26日 (40歳)

出身地  鹿児島県曽於郡大崎町

出身校  PL学園高等学校

身長   182センチ

体重   93キロ

血液型  B型

入団   1998年ドラフト1位

背番号  8

あだ名  ドメ、ドメニキ

 成績





1999 中日 132 461 131 16 52 4 .359
2000 97 316 80 13 42 8 .350
2001 120 375 94 15 56 8 .352
2002 140 542 186 19 65 4 .406
2003 140 528 165 34 96 10 .401
2004 92 350 97 23 81 8 .367
2005 142 515 169 28 103 13 .430
2006 130 496 174 31 104 11 .438
2007 81 269 79 13 48 5 .443
2008 CHC 150 501 129 10 58 12 .359
2009 146 499 129 11 54 6 .375
2010 130 358 94 13 44 7 .371
2011 87 293 80 3 13 2 .374
CLE 59 237 59 5 22 2 .300
’11計 146 530 139 8 35 4 .342
2012 CWS 24 41 7 0 4 0 .294
2013 阪神 63 212 42 6 31 0 .295
2014 104 312 79 9 34 1 .349
2015 140 495 139 20 76 1 .361
2016 131 453 141 11 59 0 .392
2017 127 441 116 18 79 1 .373
NPB:14年 1639 5765 1692 256 926 74 .385
MLB:5年 596 1929 498 42 195 29 .359

 

経歴

PL学園高等学校

日本生命

中日ドラゴンズ (1999 – 2007)

シカゴ・カブス (2008 – 2011)

クリーブランド・インディアンス (2011)

シカゴ・ホワイトソックス (2012)

阪神タイガース (2013 – )

年俸

契約金     1億円

1999年 1300万円          ↑2900万円

2000年   4200万円    

2001年   4200万円      

2002年   4200万円    ↑8000万円

2003年   1億2200万円   ↑7800万円

2004年   2億円

2005年   2億円      ↑5500万円

2006年   2億5500万円     ↑1億3000万円

2007年   3億8500万円   ↑3億1500万円

2008年   7億円                ↑5億5000万円

2009年 12億5000万円   ↑1億5000万円

2010年 14億円            ↑5000万円

2011年 14億5000万円   ↓13億5000万円

2012年 1億円      ↑5000万円

2013年 1億5000万円   

2014年 1億5000万円   

2015年 1億5000万円   ↑5000万円

2016年 2億円              ↑3000万円

2017年 2億3000万円   ↓1000万円

2018年 2億2000万円   

応援歌

唸(うな)るスイング~ 切り裂くアーチほえろ孝介 勝負を決めろ

かっとばせ~福留

福留孝介選手とは?

阪神タイガースの選手で背番号は8です。

 

福留選手は、高校時代からとても活躍したひとりで、ひとことで言えば

 

野球のエリート

 

を歩んできた一人と言えます。

 

やきゅ美
エリート!!?

 

高校時代は甲子園で大活躍!

 

あの名門PL学園でなんと

 

1年から4番を打つ

 

というスラッガーぶりでした。

 

ぶろ太
1年からレギュラー!?しかも4番って!実力者やな!

 

3年の予選の大阪大会時には

 

先輩の清原和博の5本のホームランの記録を塗り替える

 

7本のホームランを打ち甲子園に出場

 

その後の活躍もあり

 

ドラフトでは7球団が競合し、競合した球団数では今も破られていません。

 

その後近鉄バファローズが交渉権を得るも福留がこれを断り

 

日本生命で社会人野球の道を進みます。

 

そして1998年に中日ドラゴンズを逆指名しドラフト1位で入団

 

福留選手は意外にも入団当初ポジションはショートでした。

 

ぶろ太
ドメニキってショートやったん!?

 

しかしショートの守備に不安があった福留選手は当事の監督の

 

山田久志監督に外野コンバートとフォーム改造を言われました。

 

これが大正解で

 

中日で首位打者2回の成績を残しメジャーに挑戦します。

 

メジャーでは、シカゴカブスに入団します。

 

ぶろ太
メジャーリーガー!ドメニキ誕生!www

 

入団当初は大きな活躍を見せますが、インコース責めを喰らい

 

成績は失速して終わってみれば平凡な成績で終わります。

 

その後インディアンス、ホワイトソックスでも大した活躍ができず

 

わき腹のケガもあって解雇され、ニューヨークヤンキースとマイナーを結びそこそこ活躍しますが

 

メジャーに上がることなく解雇され

 

メジャーリーガーの厳しさを痛感!

 

ぶろ太
ドメニキでもメジャーでは活躍できないのか!厳しい世界だな!

 

そして日本に戻り阪神タイガースに入り

 

今現在も40歳を過ぎても

 

阪神タイガースのクリーンナップを打ちます!

福留孝介選手がメジャーで成功できなかったわけとは?

学生のころから日本で活躍し

 

日本のプロ野球でも大活躍した福留孝介選手ですが

 

何故メジャーで活躍できなかったのか?

 

自分なりの見解で分析していきたいと思います。

まわりが凄すぎた!

やはり野球の中でも最高の選手が集まるMLB!

 

まわりが凄すぎたということではないでしょうか?

 

対戦相手のピッチャーも最高のピッチャーと、ぶつかると言えます。

 

わかりやすく日本人でいうと

 

今日も菅野、明日も菅野、明後日はマエケンが投げて来るようなもの

 

中継ぎに全盛期の藤川球児

 

クローザーには全盛期の大魔人佐々木くらいの、いやそれ以上のクラスのピッチャーが集まるMLB

 

さすがの福留孝介選手と言えど、それだけのピッチャーを打ち崩すのは難しく困難だったのではないでしょうか?

 

ぶろ太
さすがのドメニキでも無理か…!

環境が大きく変わったから!

環境が変わったというのも、ひとつの要因と考えられます。

 

誰でも環境が変わると自分の実力を出せる人は中々いないと思います。

 

中には、そのような環境でも大丈夫な人はいますが

 

プロ野球選手も、そのへんの環境の違いには強いと思います。

 

大舞台でたくさんの人のなかで何試合も試合をしているわけですから

 

プロ野球選手も並の精神力ではないと思います。

 

しかし異国という大きな環境違いだと、話は違います。

 

言葉の違い、食べ物や考え方の違いなど日本に住んでいた環境とは大きく違います。

 

福留選手も、その大きな環境の違いに対応できなかったんではないでしょうか?

 

頭では、わかっていても身体は正直です。

 

その環境の違いによって、身体のキレがなくなったことにより

 

バッティングの低迷につながったのではないでしょうか?

必要以上なインコース責め!

メジャーにおいては古くから

 

インコースはピッチャーの聖域

 

と呼ばれるほど、インコースを使いバッターを打ちとっていく考えが強く

 

ピッチャーがバッターの身体を起こすくらいに胸元にボールを投げて

 

その残像を利用してバッターを打ちとっていく

 

バッターは、それにより思いきって踏み込むことができなくなる。

 

それでも踏み込んで来ようものなら、顔付近にも平気で投げてきます。

 

当時の福留孝介の弱点はインコースの速いボール

 

入団当初はそこそこ打っていましたが

 

インコースの速いボールが弱いとわかれば、インコースばかり責められ

 

それから福留孝介のバッティングが低迷して来たのは事実と言える。

守備の負担

福留選手は当時ライトを得意としていましたが

 

センターを守ることも多々ありましたが

 

そのセンターの守備が負担になっているのではないか?

 

というのも守備の評価や指標をはかる

 

プラスマイナスシステム

 

守備防御点

 

アルティメット・ゾーン・レーティング

 

ここらへんの数字がライトの時とセンターの時では違うということ

 

ライトが守備の時の数値は良いが

 

センターの時はとても悪い

 

ということが数値から出ています。

 

また福留選手をはじめプロの選手は守備からリズムをつくる選手が多いということ。

 

よく言われるのが

 

守備や走塁にはスランプがない

 

という言葉

 

いわゆる守備や走塁は基本を押さえてやればやっただけ上達していくということ。

 

バッティングなどと違い波がないということです。

 

野球選手は守備によって例えばいいファインプレーなどをすると気分も乗って

 

楽に打席に入りやすくなり

 

いい結果がうまれる。

 

逆に守備で悪いプレーが続いてしまうと連鎖反応で

 

バッティングにも影響があって

 

悪い方に向いてしまいます。

 

まさしく福留選手は悪い方に向いて行った一人と言えます。

パ○プロ的やきゅぶろ福留孝介評価!

弾道3

ミートB

パワーB

走力D

肩力C

守備力B

捕球C

福留孝介選手の阪神タイガースにおいての役割とは?

福留孝介選は2013年から阪神タイガースのユニフォームにそでをとおしました。

阪神入団当初は日本のプロ野球から離れていた勘が鈍ってか

 

足のケガの影響があってか

 

西岡選手との激突の影響があってか

 

阪神の入団後の1、2年は活躍できませんでした。

 

しかし和田豊監督の粘り強い起用もあってか不死鳥のごとく阪神入団2年目の秋くらいから復活します。

 

そこからどんどん調子を上げ、クリーンナップを任され

 

そのメジャーをも経験したそのバットからは快音の連発

 

チャンスにはとても強く若手も入ってこれないくらい

 

阪神タイガースにはかかせない選手になっています。

 

守備もとてもうまく、クッションボールの処理

 

肩も強く外野からの送球でランナーを刺すことも多く見られます。

 

守備においては、それだけではなく

 

捕れないボールなのに捕れるふりをしてランナーの進塁を防いだり

 

自分に来た外野からの送球をわざと送らせて進塁させ

 

自分の肩でランナーを刺す

 

というプレーをします。

 

カズズ
プレーというか技にちかいです!

 

これは、経験がある福留選手でないと難しく福留選手くらいの守備がないとできません。

 

こういうのを見ると

 

状況判断に長けていると言えますね。

 

若い選手も福留選手を見てこういう状況判断を見習ってほしいですね。

 

走塁も40歳を過ぎても全力疾走、走り終えた顔は、かなりきつそうな顔です。

 

ぶろ太
ドメニキ激走!www

 

それだけではなく若手にもアドバイスやミスをしたら叱るなど

 

藤浪選手が一塁のベースカバーに入らなくて

 

やるべきことをやれよ!

 

と叱っていましたね!

 

こういうのを見ると、福留選手自身は自分を押しのけて若い選手が出てくるのを望んでるのでは?

 

福留孝介選手の役割とは

 

 

若い選手の見本となって、自分自身を押しのけるほどの若い選手が出てくるまで

 

自分がクリーンナップを打って阪神タイガースを支えている

 

 

と思います。

まとめ

みなさんいかがだったでしょうか?

 

今回は阪神タイガースの福留孝介選手について記事を書かしていただきました!

若い選手も福留孝介のプレーを見て、いいところは盗んで

 

はやく福留孝介選手を押しのけるくらいの選手が出てきてほしいですね。

 

今回も記事を読んでくれてありがとうございました。

 

ではまた~

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