どうもみなさん!こんにちは。カズズです。
大阪桐蔭高校から根尾昴選手が加入し何かと注目を集めている中日ドラゴンズですが
根尾選手と京田陽太選手の定位置争いをはじめ、目覚めた感のある高橋周平選手など、特に内野陣の競争は半端ない感じがします。
そんな中で、実は鍵を握っているのは、この福田永将選手かもしれません。
難しい名前ですが、「のぶまさ」と読みます。
もう、中堅とよんでいい選手ですが、まだまだ、能力を発揮しきっているとはいえません。
今回はそんな福田永将選手について見ていきましょう。
目次
福田永将選手のプロフィールを紹介!
【竜の主砲 福田永将】
「(来季は)全試合に出ること。そうすれば、結果を残す自信がある。試合に出続けるからには、チームの勝ち負けの責任も取らないといけないと思っています」
「四番・三塁」で全試合にスタメン出場する決意を表明した。 pic.twitter.com/U6vU8QcKj5
— ドララ (@drakichi22) 2017年12月12日
氏名 福田 永将(ふくだ のぶまさ)
生年月日 1988年7月23日 (30歳)
出身地 神奈川県横浜市青葉区
出身校 横浜高等学校
身長 181センチ
体重 88キロ
血液型 O型
入団 2006年高校生ドラフト3巡目
背番号 55
あだ名
経歴
横浜高等学校
中日ドラゴンズ(2007~)
応援歌
雄々しく構えた その姿 迷いなく振れ 福田永将
かっとばせ~ ふくだ~
福田永将とは?プロ入り前の活躍とプロ入り後の活躍を紹介!
福田永将選手のプロ入り前の活躍とプロ入り後の活躍を紹介して行きたいと思います。
プロ入りまでの福田永将選手
福田選手は、1988年7月23日生まれで、神奈川県横浜市の出身です。
野球を始めたのは小学校1年生の時からで、小学校で既に全国3位というのを経験しています。
中学時代は緑中央シニアで活躍し、今度は全国優勝、そしてシニアの全日本代表で4番を務めたりしていました。
この時の活躍が認められて、なんとニューヨーク・メッツから入団テストを受けないかと打診があったようです。
凄いですね、ひょっとしたら今頃は大リーガーだったのかもしれませんね。
高校は地元の強豪横浜高校へ進みました。
その横浜高校でもバッティングを評価されて1年春からベンチ入りを果たしていますから、その実力の高さがうかがえますよね。
この時の2学年上には、後に埼玉西武ライオンズに1位指名されてエースとして活躍し
現在、千葉ロッテマリーンズにいる涌井秀章投手がいて、バッテリーを組み、甲子園にも出場しました。
そして、2006年春の選抜甲子園大会では、1学年下の後に阪神タイガースにドラフト1位で入団した現マリーンズの高濱卓也選手らとクリーンアップを組み、主将として優勝という栄冠を手にしています。
この時のチームメイトには、現広島東洋カープの下水流昴選手がいて、下水流選手とは小学校から高校まで、同じチームだったようです。
高校通算49本塁打の打撃が評価され、その年の高校生ドラフトで中日ドラゴンズから3位指名を受けて入団しています。
プロ入り後の福田永将選手の活躍
2007年にドラゴンズに入団した福田選手ですが、やはりバッティングに対する評価は高かったようです。
春季キャンプでも1軍への昇格を果たしています。
その後、出場機会を増やすために、2008年、当時の落合監督からの指示もあり、内野手へ転向することになりました。
この年の2軍では4番を打ったりもしています。
そんなスラッガーとして期待されていた福田選手の初ホームランは2009年でした。
7月に初の1軍昇格を果たすと、7月7日の東京ヤクルトスワローズ戦で9回に代打で出場すると、押本健彦投手から、初打席初ホームランを放ったのでした。
これは、史上49人目となる快挙でした。
その後、低迷する時期もあったのですが、2011年にはプロ2本目、3本目のホームランを放っています。
2012年にはキャッチャーに再度コンバートされたり、そのオフにまた内野手へコンバートされるなどの時期もあった福田選手が再び蘇ってきたのは2015年のことでした。
フォーム改造の成果もあり、オープン戦で4本のホームランを放ち、13打点を挙げる活躍を見せるとそのまま開幕1軍入りを果たし
この年、自己最高となる79試合に出場、6本のホームランを放っています。
そして2016年にはファースト、サード、レフトなどのポジションで4番も打つなどの飛躍を遂げ、10本のホームランを記録しています。
2017年は怪我に苦しみ、シーズン途中からの活躍となりましたが、7月、8月で14本、シーズンを通しても18本のホームランを放っています。
翌、2018年は主にサードでキャリアハイとなる133試合に出場し、13本のホームランと63の打点を記録しています。
福田永将選手の特徴やプレースタイルを紹介!あの落合元監督が絶賛?守備は?
福田選手の最大の特徴はなんといってもそのバッティングです。
あの落合元監督も絶賛していて、将来の中心選手になるだろうと言っていたほどですから。
元々、和製大砲として、その長打力は評価されていましたが、結果を出そうとするあまり、実力が発揮できていませんでした。
しかし、ピッチャーがモーションに入るまでの間の取り方などを工夫した結果
元々、福田選手が周りを魅了してきたフォローの大きなホームランバッターらしい華麗なフォームが蘇りました。
そんなバッティングが評価されている福田選手ですが、再三のコンバートの影響かもしれませんが、守備については厳しい評価もあります。
ただ、元々、キャッチャーをしていたことからもわかるとおり、スローイングにはいいものがありますから、守備の面での成長も期待されています。
福田永将選手は結婚してるの?子供は?
福田永将選手は2014年11月7日に2歳年上の優花さんという一般女性と結婚しています。
奥さんの優花さんは福田選手よりも年上でその他の詳細は不明なことが多いですが出身地は福岡県ということは分かっています。
そして2016年の11月20日には男の子が産まれています。
お子さんが生まれた時期はちょうど、福田選手の覚醒の時期とも重なりますから、やはり大事なものの存在って大きいのかもしれませんね。
男の子ですから将来はお父さんと同じプロ野球選手になるかもしれないですし、お父さんと同じ遺伝子で身体能力の高そうなので可能性は大いにありますね。
フォームの修正が覚醒理由?
プロ野球選手には独自の個性的なバッティングフォームの選手をたまに見かけますね。
その独特なフォームからファンやメディアから注目をあびてきた選手が多いと思います。
古くは王選手の一本足打法やイチロー選手の振り子打法、近藤和彦選手の天秤打法など、現在では上本博紀選手や畠山和洋選手などが個性的なフォームで打席に立っています。
ではこの福田選手はどうなんでしょうか。
福田選手はバッティングの際、右肩が突っ込んでしまうので、それを修正するために日々悩んでいました。
そして悩んだ末たどりついたのが、独特の打撃フォームだった。
その打撃フォームの内容は福田は投手に正対して腕を上下に揺らし、ピッチャーが投球姿勢に入ると同時に体をねじり構えに入る。
詳しい動画はこちら
自分にあったバッティングフォームを編み出したことで、打席内で余裕も生まれて福田選手の覚醒につながりました。
今までは力んだりして自分でバッティングを崩していましたが、このフォームで心に自信ができそれが余裕につながり冷静に打席に入れていることがいい方向に向いたということ。
福田選手の魅力は何と言っても豪快なスイングです。フォロースルーも大きく、するどく、きれいですね。
見ていても気持ちいいくらいのスイング。それを生かしたのも、この独自のバッティングフォームと言えますね。
まとめ
みなさんいかがだったでしょうか?
今回は中日ドラゴンズの福田永将選手について見てきました。
あの天才バッターだった落合元監督がほれ込んだ逸材ですから、これまでの分も取り戻してくれるような活躍が見られるかもしれませんね。
今回は記事を読んでくれてありがとうございました。
ではまた~!
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